ロイヤルホテル前を疾走する謎の車。赤シャツさんの動く靴の店。水色っぽいナンバーが見えます。耕耘機を改造した特殊車両とのこと。今は亡き赤シャツさんの走っている姿をここに残しておきます。

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踏んばっている尾道人8 来年で引退? 尾道名物

       知らない人はいない 「赤シャツさん」
         山陽日日新聞(尾道市)1997/6/19日付 転載許可済み

 本名の谷口明王さんを知らなくても、通称の「赤シャツ」を知らない人は
尾道人にはいない。戦後の尾道名物をあげてみろと言われれば、どうしても
はずせない存在ではなかろうか。
 赤シャツさんは福岡県若松市生れ。終戦前に尾道に来て、最初は自転車の
リアカーで衣類販売をしていた。それで最後までどうしても売れずに残った
赤いシャツを自分で着たのが始まり。その後、靴修理販売業に転じ、オート
三輪から乗り換えたのが今の赤い車で間もなく50年になる。
 車は耕耘機を改造した小型特殊車両。車内を見せてもらうと正に農機具の
上に箱が乗っているという感じで、アクセルやレバー式のブレーキの下には
すぐ地面が見える。最高時速は18km、西久保町の自宅から毎日、尾道郵便
局の横に出勤してきて店を開く。
 「2,30年前には1日で新しい靴が2,3足売れていましたが、今は1
ヶ月で1足出ればいい。靴も履き捨ての時代になった。修理もほとんどなく
て、1人もお客さんがない日がある」と赤シャツさん。太鼓の皮張り修理を
年間で10個したこともある。
 3年前の病気で体力が落ちたという。7月で75歳になる。「交通整理は
今年いっぱい、商売も来年もう1年ぐらいかなぁと思っている。」と少しさ
びしそう。
 長年共に働いてきた車の中には、赤シャツさんの活躍を伝える新聞記事の
切り抜きや、甲子園で大きな赤い旗を振って尾道商業高校を応援する若い頃
のスナップ写真が飾ってある。
 今回初めて名刺をもらった。当然かもしれないが台紙はもちろん赤色。本
名は記していない。赤シャツと書いてあるだけ。見慣れた郵便局横の名物風
景、いつまで見ることが出来るのか、そう長くないようである。(幾野伝)
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