
小さな船ですが家族経営の貨物船なのです。島々を結ぶ橋が出来て以降、生活物資の多くはトラック輸送になったわけですが、橋で結ばれていない島もありますし、この方々は島に着くと発注した小売店までの陸送まで含めてやるという役目を果たしているので、個人相手の宅配便とは違います。そんなことで、まだご活躍かも知れませんが、珍しい乗り物シリーズということで載せました。
これぞまさしく「雁木の効用」を絵にしたようなもので、階段状になっているからこそこんなに潮が引いた状態でも、板を平らに渡して乗り降りできるわけですね。
この船に関しては地元の山陽日日新聞に記事がありましたので興味ある方は以下をご覧下さい。
***********************************************************
山陽日日新聞(尾道市)1996年9月8日付 転載許可済み ( )内はおの加筆
『島との繋がり残す風景』 〜雁木 住吉浜から物資を瀬戸田(生口島)へ〜
渡海船 今や2隻に
◎..土堂海岸(尾道駅の東の海岸)の「住吉浜の雁木」には今朝も瀬戸田まで
物資を運ぶ船「金瀬丸」が繋留し、次々と軽トラックで持ち寄られる荷物が
バランスよく積み込まれてゆく。かつての賑わいは見る影もないと言うが、
「島と尾道」との確かなつながりを今でも見ることができ、気に入っている
風景だ。
◎..金瀬丸を運行しているのは瀬戸田町の中川さん(37)。母親と一緒に
住吉浜と生口島の北西、中野港を月曜から土曜日の毎日結んでいる。
父親の代からもう40年以上になるという。
◎..運ぶ物はさまざま。尾道の問屋業者から頼まれた食料品全般から生活雑貨
を中心に家電製品、タイヤなどの自動車部品、農業用の大きなポリタンクな
どなど。島内の小売店まで届けるのが仕事で、島に帰ったら勲さんが各商店
へ陸送してまわる。みかんの時期には、逆に瀬戸田から尾道への荷物が増え
てくる。
◎..1960年代(昭和40年代前半)をピークに住吉浜には「渡海船」と呼ばれる
同様の船がびっしりと着き、瀬戸田行きだけで5便もあった。満載しても積
み残しが出る日もあり、問屋は順番を競い合って船が到着するのを待つほど
の賑わいだったという。それがトラック輸送に変わり、橋が架かったことで
今や渡海船も金瀬丸と愛媛・弓削島への弓削丸だけになってしまった。
◎..「あの頃に比べれば今はのんびりしています。荷物がいっぱいになるのは
年末ぐらい。時代の流れですかねえ。」と景晴さん。船の先と雁木とを渡す
板木は幅約30cm、長さ4m。潮の満ち引きに合わせてその距離や傾きを調節す
る。両手に荷物を持ち表情を変えずにスイスイと歩いて渡る器用さはすごい。
◎..波はおだやか、すぐ東には住吉神社、年期の入った小さい船、そして今も
使われている階段状の雁木。もし大林監督流に「尾道の賢い暮らしのある風
景百選」でもあればイチ押ししたい空間である。なぜかホッとさせられる。
(幾野伝)
**************************************************************
当時この記事をニフティの観光フォーラムに転載したのも個人的には懐かしい思い出。フォーラムがWeb化され、観光フォーラムはなくなり、パソコン通信からインターネットプロバイダ@ニフティになりました。