尾道 線路脇の井戸についての詳しい説明
先日尾道の線路沿いの井戸について載せた際、地元の方にその井戸の由来を聞いてみましたら、なんと山陽日日新聞でもお馴染みの尾道学研究会・林良司さんから回答を送っていただきました。せっかくなので、先日の写真と林さんの回答を載せさせていただきます。
江戸時代、町内の自治を担った町年寄(久保、十四日、土堂と尾道三町にそれぞれ居ました)の役職にあった豪商(屋号・油屋) で、『尾道志稿』という地誌(尾道初の郷土史誌)を執筆した亀山士綱(かめやま・しこう)の手によって、江戸後期の文化3年(1806)に掘られた井戸です。
涸れる事のない井戸として「万年井」と名付けられ、多くの町民が万年井の水を利用したと伝えます。
すぐ西傍らにある鉄道陸橋の坂道下側にも石の蓋で覆われた古井戸が一つ遺りますが、こちらも亀山士綱が掘った井戸といいます。 彼はその他にも町内各所で多く井戸掘りを実施しています。
井戸の傍にはお決まりの如く「水神」さんが祀られていますが、 石仏のお地蔵さんが一緒に同居するのもあちこちで見受けられます。
お地蔵さんに関しては井戸とは直接関係がないのが大半で(一部には水神さん的に位置づけを担っている場合もあり)、路傍に散在するものを一箇所に寄せ集めた結果というのが殆どの様です。
万年井傍の石地蔵に関しては、残念ながら由来は分かっていませんが、井戸とは無関係である事が、寄進名(発起人)の銘などから窺えます。裏面に恐らく年号などが刻まれていると思われますが、 線路壁に遮られて見る事叶いませんでした。
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林さん、ご丁寧な解説本当に有難うございました。
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