ラーメンの後はちょっとコーヒーを飲みに向島へ。福本渡船に乗る。相変わらず歩行者60円。大林映画にも、アニメ「かみちゅ!」にも盛んに登場した航路だ。
駅前渡船は桟橋が壊れて運休中で、8月頃再開の見通しだそう。
ほかの乗り物以上に見飽きないのは、波(潮流)の影響で、行き来するたびに違った動きをするからだろうか。
離れていく"本土"。5分で移動できる分だけ離れるだけだが。
向島(むかいしま)側に到着。「かみちゅ!」の頃以上に悲惨な状態の桟橋屋根。「無い」と言っても過言でない。直すにも撤去するにもお金が掛かるわけで・・。でも落ちてきたらちょっと怖い。
足もとに何やら細かい魚が動いている。
小さなフグだ、カワイイなあ。
桟橋からすぐのカフェテラス檸檬の樹。軒下にツバメの巣が。
シナモンミルクティも飲みたかったけれど、暑かったのでアイスコーヒー。モーニングセットを長時間やっているので、昼過ぎでもパンで軽い食事ができる。(ほかの食事類はありません)
マスターと積もる話。尾道には2度目に来た時からすでにそうだったのだが、人に会いに来るのが目的の1つになっている。海と山の風景や古寺の風情ももちろんなのだが、色々な場所で「久しぶり」と言われるのが嬉しくて歩き回っている部分も大きい。
初めて来た91年頃に比べると、古寺めぐりコースを歩いていて話し掛けられることは少なくなった。「どこから来られました。東京から、へー遠くからよう来なさった。これからどこ行かれますか」。こんな風に話し掛けられることがざらにあった。しまなみ海道開通やYAMATOロケセットの盛り上がりで観光客が激増したときに「挨拶してたらきりがない」なんてことになったのかも知れない。挨拶を返さない人が多いから「挨拶してもつまらない」と思われたのか。
すれ違う時の挨拶は今でも時々ある。もちろんこれに応える。こちらが応えなければ、あちらも「もうやめよう」となってしまう。相手がお年寄りの場合は、こちらから「こんにちは」と言う。大抵応えてくれる。
山手の路地は道幅が狭いから、黙ってすれ違いにくい。生活道路にカメラを持って「お邪魔している」という気分も働くから、挨拶が自然と出る。
挨拶に応えない若い観光客を見ることが多いが、その表情を見ると納得する部分がある。突然知らない人に挨拶されて驚いた顔をしている。悪気があって挨拶を返さないのではなく、全く習慣にないことだから「え?なにか?」という感じになるのだ。「今の知ってる人だっけ。ここでは知らない人でも挨拶するんだな」と気づくのにちょっと時間がいる。何日かこの町にいれば、自然に挨拶するようになる若者も多いだろうと思う。私も最初は知らない人に色々話し掛けられるので驚いたのだ。
商店街を知らないおじさんと延々歩いたこともある。「この奥に神社があるんよ」「この店は古いんよ。テレビで観たことあろう」とか案内されながら。東京では起こらないウソみたいな出会いが実際にあった。
尾道でも駅周辺や海岸通りなどの広い道で知らない人に挨拶されたことはない。やはり山の中腹の住宅地の路地が多い。「尾道の人は挨拶をする」とまとめるより、挨拶が自然と出てくる場所がある、ということではないかと思う。逆に言えば、「東京の人は冷たいから挨拶もしない」のではなくて、路地でも挨拶しないのが習慣で、挨拶が必要な環境が少ないからと言える。
うちの近所でたった1か所だけ、東京の人でも挨拶を交わす道がある。物凄く狭くて譲り合わないとすれ違えない。「ごめんなさい」とか「こんにちは」とか、そこではつかの間の触れ合いがある。"無理矢理な環境"ではあるが、挨拶してみれば気持ちの良いものである。
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