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2005年2月

2005.02.26

「神戸の朝に」

blog050
1999年1月19日
FTABI・サテライト(1)

5時半に目が覚めた。また寝ようかとも思ったが、これは「朝焼けを見なさい」という意味だなと思い直しカーテンを開けた。

98年12月。夜明け前の神戸の町が眼下に広がった。走る車もまばらな新神戸駅周辺。遠くに大阪と結ぶ高速道路、在来線、その向こうにクレーンの並ぶ港が見える。人工島との間の橋に街路灯が並ぶ。走る電車はまだ光の帯。

6時を過ぎ少しずつ空が明るくなる。高速に車が増える。やがて太陽が昇り山の中腹の家が輝き出す。毎日繰り返しているはずの風景。しかし美しい。

前夜、私は「神戸ルミナリエ」を見た。実に大勢の人々が日曜日の夜、光のイベント会場で感激をともにした。震災からの復興にかける思いのこもった光のトンネル。混むことに閉口する感情は不思議と湧かなかった。多くの人が集まって良かったね、という気持ちが先だった。

今、朝陽に照らされた道に列をなす車に乗り、また電車に揺られている人々の中にもルミナリエへの行列に家族、友人などと並んで楽しみ、今日から又仕事という人もきっと混ざっているだろう。眼下に広がる家々の1軒ずつ、電車に揺られる多くの方が震災をめぐる何かしらの物語を持ち、乗り越えつつあるのだと思うと、単なる美しい朝の風景への感動以上の感情が湧いて圧倒された。普段起きたことのない5時半という時刻に起こしてくれたものは何だったのだろう。何であれ感謝する気持ちだ。私にとってきっと一生残る 特別な朝をくれたのだから。

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2005.02.24

観光フォーラム「サテライト」

blog052
私は先日書いたニフティの観光フォーラムで1年間、エッセイを書いていたことがある。週に1度、スタッフのメンバーが、会員の書き込み内容をまとめたダイジェスト版とお知らせなどをアップしていて、その中に「サテライト」という読み物コーナーがあったのだ。私は1か月1本、1年で12本。フォーラム終了とともにその著作権が全面的に返されたので、後日ここでアップしていこうと思う。

書いたのは1999年で、丁度「瀬戸内しまなみ海道」開通、尾道市政百年などと重なっていた。当然時代遅れな内容の部分もあるし、改訂が必要な部分もあるが、そのまま載せて「そういう気分だったな」というのがあった方が面白いかもしれないとも思う。尾道が旅番組や情報番組に全国ネットで出まくっていた年。大林宣彦監督の「あの、夏の日」が公開になり、尾道水道に浮かんだ客船の中に特設映画館があったという、今考えると夢のような伝説のような・・>クリック

1回目は「神戸の朝に」というタイトルで、震災から4年近く経った1998年暮れに神戸で思ったことを現地のホテルで書いた物だ。だいぶ復興が進み「どうぞ観光に来て食べて泊まって」というキャンペーンが盛んに行われ、ルミナリエも定着。「そろそろ行ってみよう」という気持ちになって行った時だ。街を行き交う人、電車に乗っている人を見ているだけで、「1人1人に話を聞いたら、心に大変な荷物を背負っている人も沢山混ざっているのだろうな」と思い、それでもたくましく働き、生きている姿に感動したことを鮮明に覚えている。
確かに「単純に楽しめる」雰囲気ではなかったのだが、しかし行ってみて良かったと思っている。ボランティアもせず遊びに行っただけなのだが、現場の空気を感じることは大事なことだと改めて思った。テレビを見て感じることとは次元が違うのだ。

私がその前に神戸を楽しんだのが震災の前の年の暮れ。だから、震災の朝にテレビで映像を見たとき、すくむ程の怖さと、「あんな綺麗な楽しい街だったのに」という悲しさと悔しさのようなものが湧いてきたのを覚えている。

震災の時、私はまだ観光フォーラムに入っていなかったのだが、安否確認などの情報収集・発信で大変な数の書き込みがあったそうだ。そんな時を経て、震災から10年で観光フォーラムが終わり、私がブログでこんなことを書いている。たった10年で、こんなに通信手段も速度も変化している。通信手段が変わっても、心は変わらずにいられるだろうか。私に関していえば、進歩してないことだけは確かなのだが。

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2005.02.16

ニフティ観光フォーラム終わる

blog050
人生に多大な財産をくれたニフティのフォーラムが終わる。「観光フォーラム」FTABI は旅をテーマにした談話室。情報発信したり質問したり雑談したり、そしてオフ会で実際に会って飲んだり食べたり歩いたり。年齢的、職業的、立場的しがらみなく、冗談に年上年下関係なく突っ込んだりできる最高の雰囲気だった。

「旅と散歩の部屋」も、ここがスタートだったと言える。山陽日日新聞の転載も、当初はFTABIに書き込んでいた。尾道の見どころを話し、それに乗ってきてくれる人達との会話が弾んだ。尾道の方とも何人も出会った。「旅散歩」を作ったとき、当初見に来て下さるのはそこのメンバーだけだったが、普通にインターネットを始めてホームページを開いていたら、きっと当初は誰も来なくて挫折していただろうと自分で思う。

友達が出来たのが最大の財産だが、ネットの作法を習ったのもそこだ。現在掲示板もチャットも恐くないのは、そこでの経験があるから。自分で掲示板を持って管理人をやっていられるのも、フォーラムの管理人さん達がどうやっていたかというモデルがあるからだ。それがなかったら恐くて出来なかっただろう。私のネット生活の先生というか、親といってもいいぐらい頼りにしていた場所だった。

FTABIに入っていなかったら山陽日日を転載することもなく、ホームページを持つこともなく、喫茶店やバーで写真を撮ることもなく、多くの方と出会わず、とにかく物凄く違った人生だっただろう。HPという母体がなければ、このブログを開くことも無かったと思う。

本当に有り難うと言いたい。そしてFTABIでは書かなかったが、実は泣きたいぐらい寂しい。今まで「あ、面白いな」と思ったら、すぐに書き込んでいた場所がなくなったのだから。「HPやブログやプーニチで書き放題なのに」と思われるかもしれないが、一番リラックスして「面白いことがあったよ」と書き込めるのがFTABIだった。残念。しかしもう"パソ通"の時代は終わったのだ。多分これからしばらく、クセでアクセスしそうだが、もう書き込みは増えない。さようならTTYフォーラム。

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