「神戸の朝に」
5時半に目が覚めた。また寝ようかとも思ったが、これは「朝焼けを見なさい」という意味だなと思い直しカーテンを開けた。
98年12月。夜明け前の神戸の町が眼下に広がった。走る車もまばらな新神戸駅周辺。遠くに大阪と結ぶ高速道路、在来線、その向こうにクレーンの並ぶ港が見える。人工島との間の橋に街路灯が並ぶ。走る電車はまだ光の帯。
6時を過ぎ少しずつ空が明るくなる。高速に車が増える。やがて太陽が昇り山の中腹の家が輝き出す。毎日繰り返しているはずの風景。しかし美しい。
前夜、私は「神戸ルミナリエ」を見た。実に大勢の人々が日曜日の夜、光のイベント会場で感激をともにした。震災からの復興にかける思いのこもった光のトンネル。混むことに閉口する感情は不思議と湧かなかった。多くの人が集まって良かったね、という気持ちが先だった。
今、朝陽に照らされた道に列をなす車に乗り、また電車に揺られている人々の中にもルミナリエへの行列に家族、友人などと並んで楽しみ、今日から又仕事という人もきっと混ざっているだろう。眼下に広がる家々の1軒ずつ、電車に揺られる多くの方が震災をめぐる何かしらの物語を持ち、乗り越えつつあるのだと思うと、単なる美しい朝の風景への感動以上の感情が湧いて圧倒された。普段起きたことのない5時半という時刻に起こしてくれたものは何だったのだろう。何であれ感謝する気持ちだ。私にとってきっと一生残る 特別な朝をくれたのだから。
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